劇場空間

元気だして行きまっしょ。 機械も長く使っていると、動きが鈍くなります。油をさして、動きを良くしてあげないと。オリーブのように、豊かな実を育てられるブログにしたいです。

仁左衛門さんの「祭り」

 

先日、南座で恒例の、「顔見せ」夜の部を観た。お正月を前にして、華やかな舞台だった。東西の人気役者の合同顔見せとあって、正に、顔を見せていただいた感じで、内容は、というと、物足りなかった。

歌舞伎で、仁左衛門と玉三郎との共演と言えば、世話物、人情物、恋の道行き、といったものを期待するので、美しい花魁と, 気風の良い助六、どちらもの魅力は十二分に発揮しているものの、観る者としては、ほろりとさせられる、心のひだとか、感極まった感情の高ぶりに引き込まれることを期待しているので、あっけらかんとして物足りなさが残っっている。

顔見せには、舞妓はん

まだ昇華されていないという思いから、南座の昼の部が観たくて、何度もコンピューターでチケットを買おうかと試みては、いやいや勿体ないと、購入までは行かないで、もどかしく、悶々とする日々。

昼の部は、仁左衛門さんの素晴らしい踊り「祭り」が入っている。踊りっぷりの粋さ、旨さ、人を惹きつけてはやまない魅力が、今でも脳裏に焼き付いている。もう一度観たいけれど、施設にいる母のことを思えば、私だけ、仁左衛門さんの「祭り」を楽しむ気になれない。

 母と一緒に、[すごかったわね。素晴らしいわね。]と互いに興奮しあった。

仁左衛門さんが、長い闘病生活の末に、舞台に出ても、声が通らず、身体も思うように動けず、もう以前のような姿は見られないかと,あきらめていたので、「祭り」を踊る仁佐衛門さんを観て、感動もひとしおだった。

今ではすっかり、お元気になられて、何の心配もないけれど、ここまでに回復されるには、長い年月がかかっている。舞台で生の演技を観られるということは、奇跡的なことなので、機会は逃さずに、観ておきたいと思う反面、母に見せてあげられないし、一度観たのだから、私だけ贅沢は出来ないとも思う。

観劇は、一期一会。そのうちに、またの機会に、と思っていても、それがかなわない場合がある。イブ、モンタンのリサイタルも、越路吹雪のリサイタルも、観たいと願いつつ、機会を失った。フランクシナトラは、母が大のフアンで、日本に来た時に、大阪城ホールでの公演に、2度、一緒に観に行っている。ライザ、ミネリとサミーデイビス、ジュニアとの共演だった。元気に歌っていた人達は、この世にいない。

母の好きな、加藤剛の舞台は、何度か連れて行ってあげた。足を怪我して歩けなかった時、車で行ったこともある。三越でのサイン会に、母は一人で行って、握手してもらったと自慢していた。舟木一夫の、ディナーショーには、お洒落をして、一人で参加していた。好きな歌手のリサイタルはかかさず行って、握手してもらったと、興奮していた。母はかなり、ミーハーでおちょこちょい。お金払が良くて、ばら撒きタイプだった。

あんなに輝いて、好奇心が一杯で、元気だった母が、耳が遠くなり、記憶力が無くなり、好奇心が失せてしまっている。お金は全く自由にならない。物欲はすっかり失せていて、買い物興味がなく、旅行も、温泉も行きたくない。楽しかった思い出の記憶は消えている。

一期一会、観劇を観に行ける、美味しいもの食べられる、歩いて、どこにでも行ける、当たり前のことではない。明日行けば良い、という明日がないことの方が現実的なのかもしれない。