南座で今日、12日まで公演中の、玉三郎特別舞踊公演を観てきました。
新作組踊「聞得大君誕生」と創作舞踊「蓬莱島」の二作品です。
私の席は、前から2番目で、舞台はすぐ前に迫っています。
舞台が上がると、奥に地謡と呼ばれる、楽曲の演奏と歌い手がずらっと並んで
座っています。
琉球言葉は、両端に訳が出ているので、そちらを見ながら前の舞台を交互に見ながら
なので、あまり前よりは、10番目くらいが見やすかったよう。
首の悪い私に取って、しまったことです。舞台が上にあって、首に負担がかかるし、横に向けたり前に向けたりで、今朝は首が痛くて。
右腕が痛くて、これは首のせいなのです。テンプレートも効果ないのでは、と思うと、我慢しているのが余計におっくう。
組踊は、琉球舞踊で、玉三郎にとっては、異質の舞踊のようですが、その難しさが
わかるような、琉球舞踊のきめの細かい手の動きや様式美を、目の当たりに見ました。
能と歌舞伎とオペラとの融合のように思われますし、中国の「昆劇」にも共通したものがあり、玉三郎が、強く惹かれて行った理由がわかるよう。
それはすなわち、泉鏡花の世界にも通じているように思います。
玉三郎の美しさは、儚さを秘めた底深い神秘性にあると思うのですが、それが、この琉球の舞踊と美しいソプラノに近い透明な声と抑揚による台詞)(歌うように語る)にぴったりと寄り添って表現性を持っている。
出演者は、ほとんど顔の表情を崩すことなく、能面のようでもあり、歌舞伎役者の白塗りの圧化粧で陶器の人形を思わせるもので、鮮やかな緋色を基調にした紅型の衣装の踊り
を踊るのですから、この世ではなく、自然界の神秘を映し出しています。
玉三郎はそこに、恥じらいとわずかな笑みを表情に加えて、玉三郎ワールドを創造しています。
玉三郎を目の前であますことなく見ることが出来て感動をし、その美しさの心がときめいたのですが、二作目の「蓬莱島」では、とても疲れているように見えて心配でした。
最初の「聞得大君誕生」では、そんな感じは全然なくて、いつもの玉三郎よりも、もっと美しくて、恋人役の川満香多さんとの息の合った踊り
が素晴らしい。相手役の人も、踊りがとても旨くて、琉球舞踊のむつかしさ見せつける。
二作目の「蓬莱島」では、雨風に打たれ、闇の大王によって壊滅状態の草木や花を、恵みの水を注いで,i生き返らせる、恵みの女神役で、
ほとんど動きのないものでしたが、
奥に座って、花や木の精たちの踊りを見ている時に、鼻をすすっているので、風邪を引かれたのか、と思うのですが、声は張りがあって、美しく高い声が出ています。その後も、鼻をすすっているのが見えて。
顔もすごく疲れているようで、他の出演者達のみなぎるエネルギーの圧倒されて、玉三郎のオウラが消えていて、痩せられたよう。
舞台が終わって出て来ると、宝塚の男役スターがフアンに取り囲まれています。
厚かましい男の人が、彼女の後ろに回って、「、一緒に写真を撮らせてください。」というや、手に持ってたカメラを伸ばして、シャッターをぴしゃり。
他の人達もカメラを向けてあからさまに撮っているので、私も失礼。
親子で宝塚フアンの人の為に、一枚。
先日からおかしいなあ、と思いかけていた首、やられました。
首が回らないとはこのこと。とほほ。