青くても甘い金柑
この所、猿之助がテレビに出演することが多い。新橋演舞場の舞台が開くまでの間の
時間を使ってのことでしょうが、フアンとして顔が見られて嬉しいこと。
昨夜は、WOWOWに出ていたようだけど、有料のサイトなので、見られなかった。
WOWOWで登録すれば、無料でもネットでアクセスできるのかと思って、映画を見ている
途中に中断して登録したのだけど、だめだった。
三谷幸喜の本棚、という番組で、その人の本棚にある本を見れば、その人がわかるというものらしい。
猿之助の本棚は、この前、はなまるマーケットで出て来て、最近はアマゾンで買い込んでいて、読まないのに買いためているのだそう。
書物があまり多いので、処分はブックオフで段ボールに詰めて送るのだとか。
本をゴミに出すことは出来ないので。
ニーチェなどの哲学書から、古文書などの歴史書、骨董から前衛まで幅の広い読書家でも知られている。
付き合う人も、歌舞伎界は狭いので、それ以外の人との付き合いが多い。
先日は、野村萬斎とNHKの番組に出ていた。
狂言と歌舞伎の違いについて、これからやりたことなどについて、初めて言葉を交わしたそうだが、萬斎さんは、猿之助を初めて見たのは、あるパーティーの席で、猿之助がまだ高校生の頃、歌舞伎を分娩に例えてスピーチをしていて、圧倒されたのだとか。
その対談の中で、猿之助が、「自分は役者に向いていない。作る方が向いている。その方がずっと楽しい。舞台が上がると、そこに演じている猿之助は、自分でなくて良いと思う。」と言っていた。
この前の奈良では、「もうこれ以上、旨くなるとは思えない。」とも言っていた。
幼い時から、芝居を演じるのが日常で、そこから飛び出すことが非日常だという。
何の抵抗もなく役を演じ、舞台を降りれば、全く別の顔になって、全く別の事をやっていると、共演の佐々木蔵ノ介は感心する。
猿之助は、幼い時から天才と言われ、中学生の時には、踊りの名手と言われた。
台詞も舞台も毎日見ていて、すっかり覚えてしまっていて、当時の名演技だと言われる役者の演技を越えてしまうくらいだから、確かに彼はもうこれ以上それほど旨くならないだろうし、演じることよりも、それを変形したり、新しい作品を作ることに、魅了を感じるのだろう。
私は、時々、猿之助の踊りを見てそれを感じる。
踊りの旨さは、非の打ちどころがないのだけど、これこの前のと思うと時がある。
踊り方が、完成されてしまっているので、同じような踊り方を見て、ああ、このかたち、と思う時がある。
その点、新しい舞台に、蜷川芝居の「ベニスの商人」などの舞台での、高利貸しのシャーロットの演技は新鮮な感じと、鍛え抜いた肉体芸との融合で、猿之助自身も楽しみながら、大胆に演じているので、圧巻だった。
スーパー歌舞伎を、ラスベガスでやるのが夢だという。
きっと近いうちに実演するだろうと思う。
釣瓶が、「勘三郎がなくなって、これから先どうなるかと心配したけど、猿之助がいる。
猿之助は、勘三郎に似ている。」と言うと、
猿之助が、「勘三郎さんと大阪で飲んだことがあって、その時に、お前はしゃくにさわるんだよ。親父に似ているから。」と言われた、と言い。それがすごく嬉しかったという。
勘三郎が、勘九郎だった頃の話だ。
勘三郎はいつも「どうしても親父に追いつけない。親父のようには踊れない。」と言っていた。
踊りの名手と言われた父親の踊りを、若い猿之助は何なく、踊って見せていたのだろう。