劇場空間

元気だして行きまっしょ。 機械も長く使っていると、動きが鈍くなります。油をさして、動きを良くしてあげないと。オリーブのように、豊かな実を育てられるブログにしたいです。

玉三郎は「美の世界そのもの」

  

 玉三郎のトークショウ、これで3回全て、クリアーと相成りました。

 もういいか、今日は、と思っても、いやいや、後悔しては、と思い直し、出かけて行くのでありました。

 やっぱり、来て良かった。周りの人々の感嘆の声、嬉しそうな笑顔、皆さん、幸せを抱いて、帰宅の途に。

 今回のトークショウは、舞台のお休みの日だったので、2時から、順番に、との案内だったのですが、近くのそば屋から戻ると、すでに中に入っていて、前回のような、列んで待たされることもありませんし、南座の中の「玉三郎の美の世界展」も空いて居て、じっくろ観ながら、写真を沢山撮らせていただけて、4回目になるのですが、見なおせば、更にその奥の深さ、手の込んだこだわりぶりがよくわかって、新しい感覚で観ることも出来ました。

 玉三郎は、幼い時から、踊っているのが、大好きで、お稽古が少しも苦にならなかったと以前に聴いていましたが、今回の出し物「阿古屋」を将来やれるようになるように、と養子先の守田さんが、考えていたかどうかはわからいとしても、3種の楽器、琴、と三味線、胡弓のお稽古を、子供の頃から続けて来た事で、6代目に続いて、玉三郎さんが受け継ぐことは出来ているけれど、さて、玉三郎さんの後、阿古屋が出来る役者さんは、

いないのです。

玉三郎さんは、この人なら、と思う女形さんも、ギブアップして、とてもだめだ、というのですが、玉三郎さんは、乳母が琴を弾いていて、2才の頃から琴を習っていた琴が幸いしたとか。

 普段の稽古で充分弾けるようになっても、衣装をつけて、弾くことが出来るようになるには、また大変なのだそう。

  今回の「阿古屋」は、実を言うと、やっと昨日から、出来るようになった、と言われました。

 今回は、玉三郎さんが、阿古屋塚、を新しく献納された、六波羅蜜寺の住職さんとの対談形式のトークショウでした。

 

 「阿古屋」をお願いしたのも、その住職さんだったとか。玉三郎さんは、しばらく無言で応えられなかったそうです。

 ずっと続けて欲しいのは、勿論の事ですが、かつらの重さを、軽くしたり、工夫したので、以前よりは、負担を少なくしているが、続けられるうちは、との、いつまでも、とはいかない役所なのですし、演目に、と願っても、簡単にはいかない、特別の出し物です。 六波羅蜜寺の1050年記念もあって、決断された、出し物。

 それに加えて、偶然だったそうですが、NHKの「清盛」で、六波羅蜜寺をお参りする人も多くなって、一躍有名になったお寺です。

 私も、「清盛」から、友人と六波羅蜜寺の中の、空也上人と清盛の像を観て来ていたので、いつもはひっそりのお寺に、訪れる人が出来て、変わったなあ、と感心していたら、玉三郎さんの、阿古屋塚の新しい感じのものがあって、「清盛縁の白拍子」の「阿古屋」を演じられるのは、玉三郎さんだけ、だということも思い出していました。

 二人の対談は、歌舞伎を起こしたと言われる「出雲の阿国」が出て来ました。

歌舞伎の演目に清盛はありませんね、出雲の阿国も、という不思議が。

 出雲の阿国は、お城には、よばれていたという話題を、元歴史の教師だったという住職さんが。

 空也が初めて、念仏を唱えた人で、「南無阿弥陀仏」を広め、最初は、「念仏踊り」が芸能の始まりだったそう。

 玉三郎さんは、NHKの「清盛」を観て、随分勉強になります、と言われると、住職さんが、「宮中は雅で綺麗だったけれど、市中は、ものすごく汚くて、疫病が蔓延り、それを鎮める為に、祈願して、町中から、疫病が修まり、六波羅蜜寺が建てられた。

  清盛像は、鎌倉になってから、造られたのですが、それは、清盛の頃は、良かったと思う人々が、清盛を慕って、造ったものだから。

歌舞伎に限らず、どこの国でも、同じだな、と私はフランスの「モリエール」を思い出したりしながら、二人の話を聞いていました。

 玉三郎さんは、白地の着物に、黒の羽織での登場でした。住職さんの黒装束に合わせての着物選びだったのでしょう。

 阿古屋の演奏を聴くために、5度足を運んでいる人もいると聴いて、私もそれぐらい聴かせてもらわないと、勿体ないのだと。

 経済的にも、人的にも厳しい時代になって、名古屋の御園座が閉じられる。

住職さんは、舞台が、柔らかいのに、関心する。怪我がないように、柔らかく造られているのと、音を響かせる為もある。

 昔は、日本の檜を使っていたけれど、今は、そういうことも出来なくて、外材を使っている。八千代座、金比羅座、名古屋の御園座には、素晴らしい昔ながらの檜が敷いているけれど、その御園座が、閉館する。

 役者を志す人も少なくなっている。芸術活動事態も、出来なくなり、厳しい時代になっている。

 玉三郎さんの生きる世界は、「美」の追求と美意識を磨くことに、命の火を灯し続けてやまないことが、玉三郎の「美」の世界を見るとよく理解出来る。

 そして、玉三郎、という存在は「美」そのもの、芸術であることが。

舞台の磨き抜かれた床や周りを見てを見て、住職が

「綺麗に磨かれてますね。」

「私がうるさいですから。幕があくまで、掃除してくれています。足袋の裏が黒いのを見せられません。」